【GONZO30周年】『ストライクウィッチーズ』制作スタッフインタビュー たくさんの人が関われる「場所」を作ることがスタートだった

インタビュー

2022年9月11日に設立30周年を迎えたGONZO。『LASTEXILE』や『ぼくらの』『ストライクウィッチーズ』など、数々のアニメ作品を世に送り出してきたスタジオだ。

現在は、30周年限定グッズが手に入るクラウドファンディングなど、往年のファン垂涎の「GONZO 30th アニバーサリー」と題した記念企画も進行している。
そして今回AnimeRecorderでは、2008年にTVアニメとして放送された『ストライクウィッチーズ』制作スタッフ陣にインタビューを実施した。今なお関連シリーズが展開する本作はどのようにスタートしたのか、約15年前の制作時を振り返ってもらった。

登壇者プロフィール

高村和宏
『ストライクウィッチーズ』監督、キャラクターデザイン、脚本を担当。
『まほろまてぃっく』などのキャラクターデザインを経て、『ストライクウィッチーズ』で監督デビュー。その後も同作品の第2期や劇場版でも監督を努めた。

鈴木貴昭
『ストライクウィッチーズ』世界観設定を担当。
多くの作品で脚本や軍事考証、SF考証を担う。代表作は『ストライクウィッチーズ』のほか、『LAST EXILE』『ガールズ&パンツァー』『銀河機攻隊 マジェスティックプリンス』など。また『ハイスクール・フリート』では原案も担当した。

今本尚志
『ストライクウィッチーズ』プロデューサー。
GONZOを経てKADOKAWA在籍後に独立。『ストライクウィッチーズ』のほか、『LASTEXILE』『生徒会の一存』『プランダラ』などのアニメ作品を担当してきた。

監督を引き受けたのは「キャラクターに魂を入れたいから」

――初代『ストライクウィッチーズ』の放送から14年が経過していますが、あらためて当時を振り返っていただけますか。

鈴木氏:最初にこの作品を作ることになったのは、GONZOさんがかつて制作した『ラストエグザイル』まで遡ります。あの作品を見たKADOKAWAさんが「あんな感じのミリタリー色の強い作品を作ろう」と提案してくれたんです。その際に色々企画を揉んでいる最中に、GONZOさん側から「島田フミカネさんをキャラクターデザインに使いたい」という提案があって、私自身当時から島田さんのデザインに魅力を感じていたので、ゲーム用に開発していた世界観と組み合わせたら面白いだろうと思って提案したのが、『ストライクウィッチーズ』のスタートでした。これはアニメ放送のずっと前、2004年ごろのことです。

高村氏:OVAですら2007年のことだから、相当前から始まった企画ですよね。

鈴木氏:そうなんです。ただ、実際にアニメを作るに当たって、イメージとなるのが島田さんのイラストしかなく、それもまとまった存在ではないのと、世界観も絵として固まっていませんでした。そこで島田さんがそれまでのイラストと世界観を同人誌としてまとめて、ビジュアルとしては参考となる物にして頂きつつ、取捨選択して異なるビジュアルをコンプエース誌上でイラストエッセイとして展開して、まとめて行ったことで動き始めました。

――そもそもの話をすると、ミリタリーとかわいい女の子を絡めた作品もそれまでは少なかったと思います。

鈴木氏:確かに、“萌えミリ”の先駆けでしたね。その頃「萌え○○」系の書籍が多数出ていたんですが、『ミリタリー・クラシックス』という軍事雑誌で私と島田さんと野上(武志)さんで書いた記事が一つのきっかけとなって、そこから萌えだけを集めた本を作るという形で『MC☆あくしず』という雑誌が生まれたんです。そのお陰か、今でもストライクウィッチーズのピンナップを載せてくれています。

――今本さんも当時からプロデューサーとして携わっていたんですよね。

今本氏:はい。GONZO時代にOVA、KADOKAWAに在籍してからはTVシリーズに関わらせて頂きました。OVAはフィギュアを同梱したかなり大きなパッケージで、当時はかなり珍しい展開のしかたでした。今ではもう、グッズの同時展開やメディアミックスはおなじみになっていますけど。

鈴木氏:当時のKADOKAWAさんに言われたのは「場所を作りたい」でした。つまり、アニメ単体で終わるのではなく、いろいろな人が入ってこれて、いろいろな角度から作品に携われる場所。それが『ストライクウィッチーズ』の原点でした。だから私が最初に作ったのは作中の年表と地図なんです。この2つがあれば、いつ、どこで、どんな戦いがあったのかが分かるし、他の人でも作りやすくなりますから。

――第1期はGONZO制作でしたが、スタジオに対する思い出はなにかありますか?

今本氏:当時は練馬にスタジオがあって、高村さんは5階の隅のほうで寝てました(笑)。床が硬いって言ってませんでしたっけ?

高村氏:いや逆です。カーペットだから寝やすかったです(笑)。

鈴木氏:私は駅前のドラッグストアで栄養ドリンクを箱買いして、いつも差し入れしてました(笑)。

――(笑)。思い出としては、大変なことのほうが多いみたいですね。

高村氏:引き受けた以上はやるしかないと、駆け抜けていった感覚です。その分、最終話の編集が終わったときの安堵感も大きかったです。

鈴木氏:高村さんだから駆け抜けられたと言っていいと思います。無駄なキャラクターが出ずにきっちり終われたのも良かったですね。

今本氏:監督をお願いする段階からウィッチが11人いることは想定されていて、それを伝えたら「11人も!? 減らせないんですか!?」と驚かれました(笑)。本当に、よくぞ1クールで収めてくれました。

鈴木氏:そこで高村さんから出たアイディアが「ペアを作りましょう」というものでした。

高村氏:1話に1人ずつだと、それだけで12話のほとんどを使ってしまいますから。2人ずつスポットライトを当てていけば単純に半分で済むと、シンプルな考え方できめていきました。

今本氏:シンプルだけど、実行できる監督はなかなかいないですよ。

――その高村監督はどのような経緯で携わることになったのですか?

今本氏:僕の提案でした。OVAのあと、TVアニメを作るならこの人にお願いしたいと。

高村氏:OVAの段階ではまったく関わりがありませんでした。ある日今本さんから電話をいただいて、最初は「キャラクターデザインをお願いしたい」という話だったんです。そこから何回か打ち合わせをするうちに、「監督もお願いしたい」と話が進んでいきました。

鈴木氏:私も打ち合わせに参加していましたけど、キャラクターに対してとても熱く語っていたんです。であれば、自分で監督して、高村さんが思うように動かしてみては、という話になりました。いくらキャラクターの絵をかわいく描いても、動かし方が悪かったら意味がないですから。…確か打ち合わせには、佐伯さん(『ストライクウィッチーズ』脚本・演出担当の佐伯昭志氏)も来てましたよね?

高村氏:佐伯さんは「監督なんてやめとけ」と言ってましたね(笑)。私は当時キャラクターデザインの仕事ばかりで、監督をやったことは一度もありませんでした。そんな人にいきなり監督を任せようとする人と、一緒に仕事をしていいのかと。すごい不安そうでした。

今本氏:(笑)。

高村氏:私自身、「キャラクターデザインのお願いだったけど、やっぱり監督もお願いします」なんて、どう考えてもおかしいと思いますよ(笑)。当時のアニメ業界を見渡しても、キャラクターデザインと監督を兼任する人なんていませんでしたよ。

今本氏:両方頼むというのは、確かに珍しかったですね(笑)。鈴木さんと一緒にお願いしに行ったのは今でも覚えてます。僕からすると、面白いアニメはすべてキャラクターが立っているし、であればキャラクターに愛情を込められる人を監督にするのが一番だろうと考えたのです。

――高村監督としては、引き受ける際の決め手はなんだったのでしょう。

高村氏:仏作って魂入れずということわざもある通り、どんなにかわいいキャラクターを描いても、それは側だけなんですよ。最後に魂を入れるのは監督であり、こだわりたいのなら引き受けるしかないと。監督は絶対大変で、嫌のこともいっぱいあるだろうけど、女の子のかわいさを突き詰めるために決断しました。

鈴木氏:高村さんが脚本の打ち合わせでは必ず「その行動はかわいい?かわいくない?」と聞いてくるんです。かわいくないと感じるなら、その行動は間違ってるし、脚本を書き直す必要があるというわけです。『ストライクウィッチーズ』も同じで、宮藤や坂本が脚本の都合で動くようなキャラクターではいけないんです。宮藤って、結構面倒くさいキャラクターではあるけど、だからこそ魅力的に映る。これは高村さんが監督したからこそです。

今本氏:高村さんのキャラクターへのこだわりは本当に凄いです。キャラクターごとに「嫌いな食べ物を食べたらどんな反応をするか」とか、「スカートを捲られたらどんな反応をするか」とか、すべてリスト化してあるんです。ここまでキャラクターを開発できる人はなかなかいないですよ。

高村氏:原作があれば話は別ですけど、『ストライクウィッチーズ』はオリジナル作品ですから。誰も分からないのだから、誰かが決めないと、キャラクターの性格が話数によって変わってしまうという事態が発生しかねません。監督である僕がしっかり決めておかないといけないもっとも重要な部分でした。

今本氏:キャラクター開発だけでかなりの時間を使いましたよね。

鈴木氏:使いました。これも高村さんの言葉で、「自分の中に絵が浮かばないと、アニメは進められない」というのも印象的でした。なあなあで進めることができないのは、こだわりを感じました。

今本氏:印象的だった高村さんの言葉だと、「脚本打合せをスタートする前に、キャラクターを詰めたい」です。脚本家さんと打合せする前に、自分なりのキャラクターの描きかたについてのビジョンを固めておきたかったのでしょうね。

高村氏:島田さんのキャラクター原案を見れば「この子はこんな性格だな」と大体の想像はつきますけど、それをより明確にしたかった思いはあります。

今本氏:島田さんの原案を始めてみたとき高村さんは「いやぁ、欲張りなデザインですね」と言ってましたね(笑)。

設定で注意した「魔法」の定義、そして監督の邪魔にならないこと

――鈴木さんはこれまでリアリティのある設定を生み出すことも多かったですが、『ストライクウィッチーズ』はファンタジーに寄せた設定も多いですよね。

鈴木氏:まずは原作である島田さんのビジュアルを成立させるのを最優先に考えました。ストライカーユニットがなぜ飛べるのか、作品の中で魔女とはどんな存在なのか、なぜ耳があるのかを成立させることですね。そこで私たちの世界とは違う「魔法」というものを明確に定めましょうとなったのです。

ただ、その魔法もなんでもできるわけではありません。SF作家のアーサー・C・クラークが「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」と言ったように、ちゃんと科学の体系に魔法を落とし込もうと考えました。エンジンは魔力を入れないと動かないのは、その典型です。

今本氏:ストライカーユニットのプロペラが「ぶつかり合うんじゃない?」といった議論もしましたよね。そこも現実の世界で成立するための解決策として、実体がない設定になったんです。

鈴木氏:もうひとつ意識したのは、高村さんの邪魔にならないことです。脚本会議でも高村さんから「僕が分からないものはNGです」と注意されていたので(笑)。高村さんが分からないなら、視聴者だって分からないですから。ミリタリー用語も科学用語もSF用語も、分かりやすくするために極力省いています。

高村氏:ミリタリーに特化すると内輪受けで終わってしまう可能性があります。自分が分かる用語であれば、誰でも分かってくれるのでは、と線引きしていきました。

――本作は現在も『ワールドウィッチーズ』シリーズとして、多彩な展開を見せています。

高村氏:自分としてはここまで続くとは思っていませんでした。GONZOさんで制作した第1期に出し惜しみせずすべてを尽くせたことが良いスタートに繋がり、作品としての広がっていったのかなと思います。

鈴木氏:そうは言っても、第2期、劇場版とアイディアがどんどん出てきたのはさすがだと思いますよ。

高村氏:宮藤が強くなりすぎた感はありましたけどね(笑)

――GONZOの制作した第1期があってこそですよね。では、そんなGONZOが30周年を迎えるにあたって、なにか一言あればお願いします。

高村氏:GONZOさんでアニメを作っていたとき、とても助かったのが撮影から編集までひとつの建物でできたことです。映像をチェックして、仮にリテイクが入ってもすぐに修正ができるんです。業界でそれを実現したのはGONZOさんが恐らく初めて。またあの環境で制作できたら嬉しいですね。

鈴木氏:GONZOさんは特に3Dチームが素晴らしかったです。特に驚いたのが軍艦を描くとき、もともとGONZOさんのライブラリには信濃とフレッチャーしかなかったのですが、それを新たに制作し、しっかりと動かせるようにしてくれました。また、宮藤たちが空を飛んでいるときの尻尾の動きも3Dで表現しています。「ここは3Dのほうがいい」という判断力が素晴らしかったし、助けられることも多かったです。

今本氏:撮影、編集、そして3Dチームまで抱えていたスタジオは当時珍しく、業界の先駆者でしたね。全員がひとつの場所にいるから深夜でもリテイク箇所を一緒に共有できて、翌日の朝には納品できるように動けるので心強かったですね。
たくさんのスタッフを抱えていたから、今では業界内の数多くのスタジオにGONZO出身者がいるんですよね。私自身も育ててもらった1人ですから、感謝しかないです。

――ありがとうございました。

『GONZO30周年アニバーサリー』応援クラウドファンディング

■実施期間
2022年9月11日 (日)18:00 ~ 2022年10月15日(土) 24:00

クラファンページはこちら
https://animefund.com/project/gonzo30th

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