『神在月のこども』三宅隆太、市川淳ら登壇の大ヒット御礼舞台挨拶が開催。「熱量って、必ず作品の力に反映される」

イベント

10月8日(金)から全国で公開されている劇場オリジナルアニメ映画『神在月のこども』について、10月18日にはイオンシネマ板橋で、白井孝奈(アニメーション監督)、四戸俊成(原作・コミュニケーション監督)、市川淳(音楽)、三宅隆太(脚本)ら制作スタッフが集結する舞台あいさつを実施。数々のヒット作、話題作を手がけてきた音楽、脚本の分野を代表するプロフェッショナルたちによる、充実の内容のトークが行われた。

<以下、オフィシャルレポート>

日本各地では“神無月(かんなづき)”と呼ぶ10月を、出雲では“神在月(かみありづき)”と呼ぶ由縁。全国の神々が出雲に集い、翌年の縁を結ぶ会議を行うという云われを題材に、人々と神々、各地と出雲、そして、この島国の根にある“ご縁”という価値観をアニメーションに描く本作。母を亡くし、大好きだった“走ること”と向き合えなくなった少女カンナが出雲に向かって旅に向かうさまを描き出します。四戸にとって、今回のゲストとなる市川、三宅の両名は「この映画に、最初に魔法をかけてくれたのが三宅さんで、最後に魔法をかけてくれたのが市川さん」と語るほどに重要な役割を担ったのだとか。

2018年11月、スクリプトドクターとして活躍する三宅に、白井監督と四戸が本作のアドバイスをもらうために会いに行ったのが両者の出会いだったそう。その時のことを三宅は「四戸さんは、日本のいろいろな要素を海外に紹介したいんだと。僕にとって一生に一本の映画だから、どうしても作りたいんだということを、キラキラした目で話すんです。そうしたおふたりの思いが僕に刺さって。スクリプトを読む前にふたりのことが大好きになっちゃったんです。それで何とかお力添えできないかと考えて、一生懸命スクリプトドクターとして感想を言ってたんですが、その時に脚本をお願いしてもいいですかと言われて。状況が突然変わった」と笑いながら述懐。

「でもそういう話が実現した試しがないし、これもそうなるのかなと思ったんですけど、四戸さんのキラキラした目にある種の狂気を感じたので。潜水艦の艦長に例えたんです。乗組員たちも行き先は分からない。でも艦長が狂っていると、下手すると沈没するかもしれない。ただ、どうしてもこのルートで行きたいと言ってる。だったら僕は、その狂った艦長のそばにいる副長になります。だから必ずうそは言わないでください。何か思いついていることがあったり、それはやりたくないと思った時は言ってくださいと言いました」と本作に参加する経緯を明かした三宅。

一方の市川も、四戸からのオファーがあったときのことを「音楽の打診があって。おおむね前向きな返事をしているにもかかわらず、わざわざ藤沢市のスタジオまでごあいさつに来ていただいて。この作品の音楽はあなたしかいないと情熱的に言われて。やっぱりそういう熱量って、必ず作品の力に反映されるので、得がたい体験だったなと。今思うと、最初のきっかけはインパクトが強かったなと思います」と振り返ります。

そんな市川は、初監督作となった白井監督とのやりとりが印象深かったといいます。「映像の音楽を作っている時は、基本的には監督とのコミュニケーションというか、戦いがあるけど、白井監督からはけっこう手際よくビシバシと指摘が来るなと。なかなかよく見えているし、新人監督でありながらも、高いレベルでのクリエーティブができているなと思いました」と語る市川。特にクライマックスのシーンで、切ないメロディーの音楽を作ったところ、白井監督からは「ここは前向きな音楽にしてほしい」とハッキリとリテイクをお願いされたという。「バッサリ切られたというのが印象に残っていて。結構いいフレーズだったと思っていたんですけど、それでも変えちゃうんだなと思って。でも自分としてはどんなリテイクをもらっても必ず良くしようという信念で生きているので。努力して修正したんですが、結果的に修正した箇所は、前向きと切ないの両方になって。結果的に大当たりだった」という市川は、そんなやりとりを通じて、白井監督のことを「こんなにソリッドな才能は初めてかも」と感じたといいます。そんな称賛の言葉を受けた白井監督は「ずっとこれまで、やってきたアニメの仕事は完全に絵に寄った仕事だったので。完全に音楽に寄ったのは初でした。だから指示を出すメールを打つのも、何時間もかけて出したんです」と振り返りました。

市川、三宅といった両名と組んだ白井監督は「私にとっては初監督作品で、三宅さんと市川さん達経験豊かなプロフェッショナルに支えられて完成することが出来ました。わたしの中にずっとあった表現したいことがしっかりと映画として世に送り出せる、こんなしあわせなことはないなと思っています」としみじみ。四戸も「僕自身はアニメを企画するのも、映画を企画するのも初めてで。ある意味、この作品のカンナと同じように、倒れては立ち上がって走るということを何年もやってきたんですが、その制作過程が、東京から出雲の旅だった気がします。そして映画で日本人の根っこにあるような価値観を世界に届けたいんだと言ったところ、じゃやろうと、脚本の神さま、音楽の神さまが一緒に旅をして、支えてくれて。映画が完成しました。自分が好きな事を信じればやり遂げることができるんじゃないかという風に思っていただけたら、これ以上ないなと思います」と誇らしげに語りました。

公式サイト
©2021 映画「神在月のこども」製作御縁会