【GONZO30周年】石川智晶が『ぼくらの』に感じた怖さと光 アニソンの歴史に残る「アンインストール」に迫るインタビュー

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2022年9月11日に設立30周年を迎えたGONZO。『LASTEXILE』や『ぼくらの』『ストライクウィッチーズ』など、数々のアニメ作品を世に送り出してきたスタジオだ。

現在は、30周年限定グッズが手に入るクラウドファンディングなど、往年のファン垂涎の「GONZO 30th アニバーサリー」と題した記念企画も進行している。
今回AnimeRecorderでは、2007年に放送された『ぼくらの』の主題歌を担当した石川智晶さんにインタビューを実施。アニメソングの歴史に残る名曲「アンインストール」はどのようにして生まれたのか、そして石川さん自身は『ぼくらの』という作品をどのように見たのか、15年前のことを振り返ってもらった。

登壇者プロフィール

石川智晶
『ぼくらの』オープニングテーマ「アンインストール」を担当。
1993年に梶浦由記との音楽ユニット「See-Saw」でデビュー。
2006年より石川智晶として活動する。
「アンインストール」や『機動戦士ガンダム00』セカンドシーズンのエンディングテーマ「Prototype」など数々のヒット曲を生み出した。

『ぼくらの』と「アンインストール」は100%のシンクロ

――本日はよろしくお願いします。今回は15周年を迎えた『ぼくらの』と、オープニングテーマ「アンインストール」についてお伺いできればと思います。まずは15年前、『ぼくらの』という作品に対してどんな印象をお持ちでしたか。

最初の出会いは鬼頭先生(『ぼくらの』原作・鬼頭莫宏氏)の漫画とキャラクターデザインを見せていただいたときでした。原作漫画はまだ終わっていない時期でしたが、それでも面白いと思えるには十分な内容で、私自身の個性も発揮できる作品だと思いました。

もちろん楽曲を制作するにあたって、原作の内容に沿わなければなりません。だけどその一方で、自分の中にある言葉を拾い集めて、ひとつの楽曲を生み出す作業もしてみたかったのです。『ぼくらの』は作品に寄り添いつつ、私の視点で見る景色も一緒に表現できるのではないか、原作を読んだだけで「来たな」と、手応えを感じました。

――第一印象から相性の良さを感じていたと。

『ぼくらの』は作品的に気骨な印象がありました。その景色もまた私に合っていると思いました。たくさんの楽曲を歌ってきた中で「アンインストール」が間違いなく私の代表作です。100%シンクロできたと思えるし、やりたいことを全部詰め込めたし、それがスタッフによって削られることもありませんでした。

――具体的に、『ぼくらの』のどこに魅力を感じたのでしょう。

原作を読んで驚いたのは、リーダーの少年が最初に死ぬところです。それはストーリーの中でのサプライズであると同時に「人生なんてこんなもんだよ」とリアルを読み手に提示した気がしました。ファンの間では「鬱アニメ」とも呼ばれていますが、私にとっては決して暗いイメージはありませんでした。

この作風は作詞にも影響しています。当時のアニメのテーマソングには、歌詞に希望や未来を感じさせることを求められているような気がしてました。例えば「きっと明日は大丈夫」みたいな。だけど『ぼくらの』はそんな制限もなく、「今の僕には理解できない」と作品が持つ世界観を素直に表現できました。

――アニメが放送されると、作品の人気も徐々に上がっていったかと思います。当時はその盛り上がりをどのように感じていましたか?

例えば「歌ってみた」とか、MADとか。とても楽曲をかわいがってもらった印象が強いです。もう笑うだけというか(笑)。みんなこうやって遊ぶんだと感心することも多かったです。新しい時代の幕開けというか、文化の広がり方が新しかったですよね。

――ニコニコ動画で楽曲が使われることも多かったと思いますが、決してネガティブな気持ちではなかったと。

そうですね。ニコニコ動画が盛り上がってた時期で新しい楽しみ方が増えていくのを実感してましたし、スタッフの方々とこの現象に喜んでました。現在のようにSNSの反応を見る走りの時期だったと思いますが、ニコニコ動画でのここまでの反応には「え?え?」といった驚きはありました(笑)。

――プロモーションのやり方も、今とはまったく違いましたよね。

今なら楽曲がヒットする前に「まずはTikTokで」と考えますけど、当時は今ほどの効果的な媒体はなかった。それまでの売り方が崩壊する転換期だったのではと思います。

――「アンインストール」以前と以後で、ご自身の環境に変化はありましたか?

「アンインストール」は私の持ち味が最大限に発揮できた楽曲だと思っていて、これ以降に作った楽曲もあえて光を見せない世界観を求められました。自分自身にない景色以外の作品は本来は作れないと思っています。アニメ作品と共存できるものをその後自然と作れるようになったのは「アンインストール」のおかげと言えます。

キャリアという意味でも「アンインストール」が私の世界の土台になってくれました。「石川智晶ってこういう歌を歌うんだ」と多くの人が理解してくれたのでやりやすくなったし、お仕事でも説明をしやすくなりました。

歌詞にまつわる都市伝説、その真相は

――「アンインストール」制作時のエピソードも教えてください。実際に楽曲を生み出すときは、どのような工程を重ねていくのでしょう。

基本的には自分が伝えたいロジックから徐々に徐々に歌詞として広げていく形です。私の場合はメロディーより歌詞を先につくるタイプで、歌詞が完成するとメロディーも自然と乗っかってきます。メロディーに合わせて言葉を変えることはしません。最初に完成した歌詞を大事にしたいからです。

――歌詞から考える作り方のほうが、ご自身に合っていると。

メロディーを先に考えてしまうと、それに合わせて言葉も変える必要が出てきます。だけど助詞ひとつ変えるだけでニュアンスも変わってしまうので、あまりやりたくはないんです。「アンインストール」も最初に考えた歌詞は一度も変えてないです。

――レコーディングの様子はいかがでしたか?

イントロのコーラスを収録したとき、スタジオのスタッフが戸惑った顔をしていたのを覚えています。コーラスは譜面には書いておらず、自分で直感的に重ねていきます。チャンネル数はかなり多かったと記憶しています。スタッフの方々は一体どんな仕上がりになるのか分からなかったみたいで「なにをやってるんだろう…」といった雰囲気でした。だからこそ、全てのコーラスが合わさって流れたときの驚きは大きかったですね。

――楽曲が完成したときの手応えはどうでしたか?

完成したときには、スタッフと共にシンプルに「いい曲ができた」くらいの感覚で、まさかここまで反響を得られるとは思っていませんでした。
『ぼくらの』と「アンインストール」のシンクロ率は100%だと、なぜだかそこだけは自信を持っていました。自分の中で後にも先にも経験がないシンクロ率で、2000年代のアニメ界になにかを残せたらいいなと期待感だけはありました。

――あらためて、「アンインストール」で石川さんにとってのアイデンティティ、譲れないこだわりはどこにあったのでしょう。

サビの歌詞ですかね。「僕たちは戦士だ」と言うのではなく、「戦士のように振る舞うしかない」と、子供たちのギリギリの精神状態を表現したかったこと。
大人であれば「この後死にます」と言われたら、どうであれ諦める作業というか、自分の中に落としこもうとまずはするでしょう。だけど子供は許容量を超えてしまっているので、とりあえず立ち向かっているような姿に振る舞うんじゃないかと考えたんです。これが『ぼくらの』のリアルさであり、怖さ、光でもあると思います。

――光、ですか。

この子供たちの瀬戸際の「やるしかない」という気持ちは、非常にポジティブで、私にとっては作品に差す光です。私が『ぼくらの』を暗いアニメではないと感じる理由でもあります。

――その後オープニングアニメと楽曲を組み合わせた映像も見たかと思います。そのとき、映像と音楽の相性はどのように感じましたか?

「アンインストール」の制作中から、どんな映像がのるか楽しみにしてました。「ここは子供が走っていく映像が合うだろうな」と想像していたら、本当にウシロ君の走るシーンになってました。とても素敵でした。

――ちなみに、歌詞の中に”アンインストール”という言葉が15回登場し、子供たちの人数と一緒という考察もあります。これは実際に意識していたのでしょうか?

意識はしていません(笑)。他の方にもよく聞かれるのですが、偶然です。こういった偶然が生まれたという意味でも「アンインストール」という曲は考察しがいがある曲となりましたね。

――考察が盛り上がる作品なのは間違いないですよね。

考察って友達と延々語り合ってしまいますよね。だけどまさか、放送から15年経ったタイミングでこの話をするとは思いませんでした。確かに放送当時から「アンインストールの数と子供の人数」という話は聞いてました。本当にそうだったら面白いなぁと思ってます(笑)。

――(笑)。「アンインストール」が注目されがちですが、エンディングテーマも担当されていますよね。「Little Bird」は石川さん自身が親鳥のように子供たちを見守っている印象を受けました。

確かにそんなイメージはありました。『ぼくらの』の物語を追いながら楽曲を作っていたので、段々と見守っているような感覚になっていったのだと思います。
安息の場のような存在の曲になって欲しいと思ってました。「生まれてきただけで完璧」という歌詞は、そんな思いから生まれたのです。究極の運命にさらされた作中の子供たちに最後に言ってあげたい言葉、それを言ってあげる場所がエンディングだったんですね。

――もう一つのエンディング曲「Vermillion」も、子供たちが手をつなぐ映像もあって印象深かったです。

自分が必ず死ぬ、という運命の場面に行きつくまでにそれぞれの子供たちのストーリーと感情の起伏の中で、ある種一体感も生まれると思うのです。
「Vermillion」はそんな目線をテーマにした楽曲で「自分の椅子が見えないと 冬の枝のようにぽっきり折れるようで心配なんだ」といった相手を思いやれるような歌詞はそこからです。
「死にたくない、まだまだ生きたい」と言ってしまうことは恥ずかしくないんだよと、そんなメッセージを詰め込んだ楽曲にしました。生きたいんだから、大いに身悶えて、泣きじゃくっていいんだよって。「Little Bird」が親の目線なら、「Vermillion」は友達目線、同志の立場から見てるイメージです。

――それでは最後に、『ぼくらの』を制作したGONZOの30周年を迎えるにあたって、一言お願いします。

『ぼくらの』が放送されたのは2007年ですから、主題歌のお話をいただいたのは、その前になりますから今から16年前になります。そんなに前の作品でもこうして思い出して、お話ができることは本当に幸せなことです。当時の視聴者の方からメッセージをいただくと今でも励みになります。このGONZO 30周年の企画で感謝の言葉を話せる機会を与えて頂き有難うございました。GONZOさんとともに『ぼくらの』を誠実に作れてよかったなと感じます。

――ありがとうございました。

『GONZO30周年アニバーサリー』応援クラウドファンディング

■実施期間
2022年9月11日 (日)18:00 ~ 2022年10月15日(土) 24:00

クラファンページはこちら
https://animefund.com/project/gonzo30th

©2007鬼頭莫宏・小学館/ゴンゾ