『劇場版Infini-T Force/ガッチャマン さらば友よ』笹川ひろし×大河原邦男トークショーが開催。タツノコプロのレジェンドが語る過去の名作にまつわるエピソード

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『劇場版Infini-T Force/ガッチャマン さらば友よ』の公開を記念し、タツノコプロにゆかりのある笹川ひろし氏、大河原邦男氏によるトークショーが開催された。
笹川ひろし氏は『宇宙の騎士テッカマン』『新造人間キャシャーン』総監督を担当、大河原邦男氏は『科学忍者隊ガッチャマン』『宇宙の騎士テッカマン』『破裏拳ポリマー』のメカニックデザインを担当した、タツノコプロのレジェンドといえる人物。
本イベントでは『科学忍者隊ガッチャマン』などの過去の名作にまつわる貴重なエピソードが語られた。

笹川ひろし氏(タツノコプロ顧問)コメント

――最初に一言、ご挨拶をお願いします。

まだ生きてます(笑)。タツノコプロ創成期から関わってきて、創立55周年が終わって、まだなにかと関わってます。そのうち、銅像が建つんじゃないかと。この映画は、55年が経って出来たわけで、つまり、これができるまで55年かかったということ。それは凄いことです。とうとうできたか…という思いです。私も見せていただいて、やはり一歩ステップを上がった、ひとつの時代を踏んだ気がしています。この作品に取り組んだ方々は本当に勇気あると思います。記念すべき作品になるのではないでしょうか。ますますコンピュータの世界が広がり、コンピュータなしでは動画ができない時代になっていますが、他の会社もどんどんこういう作品を出すのではないでしょうか? ぜひこれを、ここまできた日本のアニメを絶やさないように、若い人がどんどん新しい作品を作ってくれたらと思います。

――タツノコプロ入社の経緯について。漫画家を志し、手塚治虫の専属アシスタントとして活動したのちの、タツノコプロ設立について。

故郷の福島の会津若松で手塚漫画を見て、びっくりして夢中になって真似して、しまいに自分も漫画家になりたいという志がわいてきて、どういう因縁か、手塚先生のアシスタントになってしまいました。幸運だったと思います。会津からSL列車で東京に来て、アシスタントをやっていました。ホントなら、今も漫画を描いてたかも…。生き方はいろいろですね…。デビューもさせてもらって連載漫画も描いてたけど、吉田竜夫さんから「アニメも面白いですよ」という話をされて「じゃあ俺たちもやろうか」って冗談めいた感じの話だったのが現実化して…。そこから不思議な因縁でアニメから抜けられなくなりました。それが55年になった。恐ろしいですね…(笑)。

忙しい毎日で大変でしたが、吉田さんの画は特に大変でした。当時、手塚先生が『鉄腕アトム』で国産TVアニメ第1号で作ったけど省略して、デフォルメしてるんですよ。空飛ぶシーンは一度使ったのを何度も背景を変えて使ったり。吉田さんは、リアルを追求するタイプの画で、(手塚先生とは)派が違う。僕は「吉田さんの画はアニメ向きじゃありません」って言ったんですけど、吉田さんは3兄弟で、多数決になると、3対1で僕が負けちゃう(苦笑)。最初は東映動画と合作の予定で、その時、僕は東映の訓練養成所で「アニメはどういうものか?」を学んだんです。でも合作がダメになって、「どうする?」となったとき、吉田さんが「俺たちだけでやろう」と決断した。僕は、そのまま東映動画いた方が楽だし安心だったけど…どっちに進むか? それが人間が試されるときでした。吉田さんの熱に負けて「やりましょう」と吉田派になったんです。それからプレハブ住宅を建てたり、社員を集めたり、つたない知識を教えて『宇宙エース』というモノクロ作品をを初めて作ったんです。15分くらいの作ってセールスした。なかなか買ってもらえず、1年半くらいかかって、幸か不幸かフジテレビで放送されたんですが、その時は、みんなで涙し、握手し合いました。

『Infini-T Force』を吉田さんが見たら、ものすごく感激されたと思うけど、反面「俺の絵の方が!」って思ってるかも(笑)。いや、きっと喜んでたと思うし、ぜひ見ていただきたかったですね。

――当時『ガッチャマン』が好評で異例の2年もの放送になり、あのクオリティを維持し続けたことについて。

吉田さんは『ガッチャマン』をやるためにプロダクションを作ったって言ってもいいくらい、ああいう画でああいう作品を世に出したいってのが本音だった。でも、ああいう画って(普通のアニメーターは)描けないんです。いろんな人に頼みに行くけど、全部断られました。「見るのはいいけど作るのは嫌」って(苦笑)。スタッフはそれでも2年がんばって、メカは大河原さんが描いてくれるけど、重いんです(苦笑)。線が多いし! 散々苦労しました。いま思うと、私「吉田さんのキャラクターはアニメにならない」なんて生意気を言ったけど、心の中で頭を下げてます。ちゃんとした人間ドラマを描けるって自信が『ガッチャマン』でつきましたね。そこから『キャシャーン』とかハードな路線が出てきたけど、それはそれは地獄でしたね、いま思うと(苦笑)。『ガッチャマン』は鳥海永行監督が2年続けて担当したんですが、精も根も尽き果てて、続編をどうしても引き受けないんですよ。みんな逃げるから、しょうがないから私がやるって、アシスタントをつけてやったのが『ガッチャマンII』。3作目となる『ガッチャマンF』もできて、その頃は「ガッチャマン、やってよかったな」と思えました。玩具メーカーが興味を持って、玩具の売り上げも制作費に回してやれるようになった。その後、タイムボカンもあってだいぶ潤ったんです。

――『Infini-T Force』として3DCGで生まれ変わって、45年前のヒーローたちが現代の人に楽しんでもらえていることについて。

4人のヒーローが一緒に出てくる。そんなことできるわけないだろうって思っていたけど、何とか理屈をつけて完成して、楽しめました。こうなるとは思わなかったってところがいっぱい出てきました。タツノコとして、いい記念の作品になったと思います。タツノコプロは、難しい画をたくさん描いてきましたが、ここでまた一つ、大きなこと成し遂げたと思うしそれをぜひ知ってもらいたい。異論もあるだろうけど、楽しんでもらえると思う。米映画を見てもコンピュータで何でもできるんですね。(米国の大作映画を)見るたびに「これは負けた」と思ってガッカリして帰ること多かったけど、この映画を見て「これは勝てるんじゃないか? 金メダルじゃなくてもいいけど、(アメリカの大作に負けない作品として)仲間入りできるんじゃないか? と思いました。アクションに限らず、映画は無限。あとは人間の知恵をうまく使って面白い作品を作ってほしい。10年後、どんな作品できてるか? 想像できない作品が出てくると思うし、タツノコとしても頑張ってほしい。

大河原邦男氏(メカニックデザイナー)コメント

――まずはご挨拶をお願いします。

1972年、初めて『ガッチャマン』で“メカニックデザイン”というクレジットをいただき、45年それで通してます。英語では“mechanical design”となるんですが。(自身と笹川さんが立っている)この間に、お世話になった方々が一杯いたはずなんですが、みんなあちらに逝かれてしまいました。

――タツノコプロ入社の経緯について

タツノコプロ創立10周年、ちょうど『ガッチャマン』が72年の4月に放映されることが決まってた頃で、私はアニメや漫画に興味なかったけど「なんか面白そう」という軽い気持ちで入ったんです。(車の)免許があったので、九里一平さん(本名:吉田豊治。吉田竜夫の三番目の弟)に「免許あるなら制作進行やりません?」と言われたけど、吉田健二さん(吉田達夫の二番目の弟)が「せっかく美術系の大学出てるなら背景をやれ」と。技術を指導されて、その時『ガッチャマン』のタイトルロゴを描いてみないか? と言われて、鳥が飛ぶようなロゴを考えたんです。それが意外とすんなりOKが出て、中村光毅さんのデザインのメカが5体は全部できてたんですが「この後、全部やってみない?」となったんです。3か月でスタッフに組み込まれて、終わったらまた背景に戻る約束が、2年、8クールも続きました。在籍4年の間にメカデザインはこういうものだと覚えて、内緒で別の制作会社のデザインもやってました(笑)。だって食って行けないですから。いまだ、45年経っても背景に戻ることできず、上井草方面とかいろんなところのメカデザインをやらせてもらってます。

――「線が多い」と言われるメカニックデザインについて

それはね…(苦笑)、私はアニメのことは知らないし、『ガッチャマン』の前の71年に『決断』という作品があって、零戦とか緻密な絵のデザインがいっぱいあったんですよ。ヒマなとき、資料室でいろいろ見てたら「このデザインをアニメでを動かせるんだ!」って思っちゃったんですね。鳥海さんが「線を減らせ」と一切言わず、そのままアニメーターにデザインを渡したら、そのまま上がってきた(笑)。私は新入社員で、当時は相当、冷たいことを言われました。「線が多い」とチクチクいじめられましたよ。その後の『ポリマー』も『テッカマン』もしっかり動いてる。あの時代にあれができる――いま見てもクオリティは凄い!

――『Infini-T Force』として3DCGで生まれ変わって、時代を超えて45年前のヒーローたちが現代の人に楽しんでもらえていることについて。

この業界に私が入った時、ガッチャマンがモニター付きの腕時計をしてるのをみんな「うそだろ」と思って見てたんですね。45年経って、みなさんひとり一台パソコンを持ってる時代で、当時はスマホなんて想像もしなかったし、ガッチャマンみたいな姿になれる時代もすぐ来るのかなと思います。ただ、媒体がどのように変化しても、子どもたちにどんな夢を与えるか? という意味で、お話が一番大事。いくら画のクオリティが上がっても、話が大事だと痛感しています。いまの観客のみなさんは、ゲームでフルCGを見てる方も多いので、さほど違和感ないと思うけど、私も70歳になって「やっぱり手描きが…」とノスタルジックになって「いやいや、それではいけない!いけない!」と思ってます。渋谷の街とか楽しめるし、今後は、映画じゃない、VRの中で自分がどう活躍していくか? そんなシステムになるんじゃないかと思います。想像もつかないアニメ業界をあの世で楽しみにしたいですね。

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公式サイト

(C)タツノコプロ/Infini-T Force製作委員会